Make your own free website on Tripod.com

日蓮大聖人滅後の弟子と宗門、及び興門派形成の経緯(暫定版)


日蓮大聖人本弟子6人を選定。弘安5年10月8日(1282年)武蔵国池上於。以下、大聖人滅後の弟子の行動。

弁阿闍梨日昭
にっしょう

1221-1323(鎌倉)身延より、大聖人が法華経に注をつけられた「注法華経」を持ち去る。墓輪番を放棄し、池上にて3回忌を行う。大聖人滅後、鎌倉で幕府からの弾圧を受け、天台宗を名乗り、幕府のために祈祷をすると申状を提出し、権力に迎合。

大国阿闍梨日朗
にちろう

1245-1320(鎌倉)伊豆で伊藤の地頭から大聖人に捧げられた釈迦の一体像を持ち去る。墓輪番を放棄し、池上にて3回忌を行う。大聖人滅後、鎌倉で幕府からの弾圧を受け、天台宗を名乗り、幕府のために祈祷をすると申状を提出し、権力に迎合。

白蓮阿闍梨日興
にっこう

1246-1333 大聖人御入滅後、付嘱を受けた日興上人は久遠寺別当となる。日向の影響で波木井が四箇謗法を犯し、正応二年(1289)離山。南条時光に懇請され、富士の大石が原に本寺を建立。正応三年(1290) 本弟子を選定し、重須に移る。重須に談所(学問所)を開設し弟子の指導にあたる。ここから弟子が育ち新六を選定した。

民部阿闍梨日向
にこう

1253-1314(上総国藻原・現千葉県茂原市)墓輪番を放棄し3回忌以降の弘安8年頃身延に登り、日興上人より学頭に任ぜられたが、地頭波木井に媚びへつらい、身延汚濁の因となった。

伊予阿闍梨日頂
にっちょう

1252-1317頃(下総国真間・現千葉県市川市)幼少の頃、母が富木常忍と再婚したので、養子入りした。大聖人滅後、富木常忍と縁のある真間弘法寺にいたが、別当及川宗秀に讒言され、また、墓輪番を放棄し富木常忍から勘当された。天台沙門を名乗り申状を提出。正安四年(1302)、重須の日興上人の元に行き帰伏。その後重須に正林寺を創設した。

蓮華阿闍梨日時
にちじ

1250-?(・駿河国富士郡・現静岡県富士市)墓輪番を放棄し、天台沙門を名乗る。永仁三年(1295)、松野の蓮永寺を日教に託し、一人で海外弘通に出発した。奥州から、蝦夷(北海道)に渡り、靺鞨(まかつ)に渡航、北京、外蒙古まで弘教したとされるが、明らかでない。

 

日興上人が本弟子6人(本六)を選定。永仁6年(1298)

名前

大石寺内で建立した寺院名

主な略歴

蓮蔵坊日目

にちもく

大石寺第二代法主

1260-1333身延では大聖人に給仕。毎日谷川から運ぶ水桶で頭が平らになった逸話がある。大聖人は日目の不断の精進を認められ直弟に加えられた。弁論家で、弘安五年(1282)の池上問答、正安元年(1299)の殿中問答等に見事勝利した、邪宗破折の第一人者であった。日興上人と共に身延離山後、富士大石寺創設に尽力。正応三年(1290)十月十二日大石寺落成。翌十三日、日目上人31歳で、日興上人より御座替本尊を授与され、法を内付された。永仁六年(1298)、日興上人が重須に移った後は、事実上の貫首として大石寺を守った。また、日目上人は日興上人の名代として、鎌倉幕府、京の朝廷へ諌曉した。

寂日房日華
にっけ

寂日坊

1252-1334鰍沢(かじさわ)に蓮華寺を開き、日興上人身延離山後、富士にて寂日坊を開く。その後南条氏の邸内に妙蓮寺を起す。

下野房日秀
にっしゅう

理境坊

?-1329越後房日禅、小輔房日禅と共に日興上人に教化された。後に大聖人直弟子に加えられた。熱原の法難に会い、日興上人身延離山後、共に大石が原に移る。

小輔房日禅
にちぜん

南之坊

(没1331)

?-1331下野房日秀、越後房日禅と共に弟子となる。大聖人在世時の弟子で、弘安3年に大聖人より御本尊を頂いている。大石寺創建には南之坊を建てたが、後日興上人の命により、富士郡上野に東光寺、駿河府中に妙音寺を建てた。

日仙
にっせん

百貫坊

1262-1357日興上人身延離山後、共に大石が原で百貫坊を構えるが、日目上人没後、重須日代と方便品読不読の問答に破れ下山。讃岐に下り高瀬の地に本門寺を起す。

日乗 にちじょう

了性坊

不明

 

日興上人は重須談所から優れた弟子が育った為、新しく六人の弟子(新六)を定めた。元弘2年(1332)

名前

略歴

伊予阿闍梨日代(蔵人阿闍梨)
にちだい

1297-1394日興上人の外甥。日興上人の晩年、重須談所の坊を任された。日目上人没後、日仙と方便品読不読の問答をしたが、大衆に指示されず下山。後に西山本門寺を建てた。兄に日善、甥の日助がいる。後年、西山と北山(重須)の争いで、大聖人真筆の相伝書、御書などを紛失した。

日澄
にっちょう

1262-1310富木常忍の子、日頂の弟。日向の弟子だったが、その誤りを知って義絶し、日興上人に帰伏。重須談所の初代学頭となり、富士一跡門徒存知の事の草庵を作る。49歳で病のため寂。

弁阿闍梨日道
にちどう

1283-1341第四世法主。日目上人の甥。日興上人、日目上人に仕えた。三の迫新田本源寺、一の迫柏木上行寺、柳ノ目妙教寺、宮野妙円寺を開く。日郷の起した土地争いで解決を見ずに遷化。

式部公日妙
にちみょう

1285-1365日華の弟子となり、鰍沢(かじさわ)に蓮華寺にいたが、重須へ移り日興上人に師事。日代の後、重須(北山本門寺)の第二代となる。

宰相阿闍梨日毫(日郷)
にちごう

1293-1353大石寺の久成坊日世に入門。後、日目上人に師事し、重須で日興上人の元行学に励んだ。日興上人没後、日目上人と朝廷諌曉で出かけるが、日目上人が病で倒れ遷化し、お骨を大石寺に持ち帰る。その後、地頭南条時綱と結託し、大石寺を訴えて(土地争い)大石寺を疲弊させ、広宣流布を遅らせた。安房顕得寺、保田妙本寺を建てた。

日助
にちじょ

?-1387 日禅と共に富士郡上野東光寺を建てた。

 

元弘三年(1333年)正月十三日、日興上人は日興遺誡置文を記す。同年二月七日88歳で亡くなる。

同年五月二十二日、鎌倉幕府が新田義貞軍に滅ぼされ、後醍醐天皇が京に入り朝廷に権力が戻った。これを好機と見て日目上人は、同年十一月始めに日尊と日郷を連れ朝廷諌曉のために出かけた。途上、病に倒れ同年十一月十五日74歳で死身弘法の尊い一生を終えた。日郷は日目上人の遺骨を富士に持ち帰り、日尊は京に残り諌曉の機会を伺った。

 

日郷は日目上人の蓮蔵坊を譲られていたが、四世日道法主と宗義争いを起こし、一度は安房に去ったが、富士に戻り南条時綱と結託し次男の牛王丸(ごおうまる・後の日伝)を日郷の後継者とする事を条件とし、東坊地を日郷に寄進したとする寄進状を与え、寄進状を根拠に駿河国守護に訴え、大石寺に残り、日道法主に対抗した。しかし、安房の保田に退去し、保田妙本寺を開き小泉の地に道場(後の久遠寺)を建てた。蓮蔵坊にあった大聖人の御影像と「万年救護の本尊」を持ち去る。日郷の亡き後、日伝が保田妙本寺を継ぎ、大石寺との土地争いを72年続けた。そのため、大石寺は疲弊し、衰微し広宣流布が大きく妨げられた。

 

京に留まった日尊は翌年朝廷へ諌曉を行ったとされ、京に寺地をもらい、上行院を開いた。日尊は日目上人の弟子だったが、日興上人の講義中によそ見をして勘当された。もともと天台僧であったため、神天上の法門を徹底できず、地方各地で阿弥陀像や地蔵の開眼をしたいう伝説が残っている。その後、上行院に釈尊と十大弟子の像を立てた。以後日尊の門流は仏像造立、法華経一部(28品)読誦などの教義の誤りを犯し、大石寺から分離していった。日尊の弟子日大が、京に住本寺を開いたが、上行院も住本寺も天文の法乱(1536年)によって比叡山の大衆に焼かれた。天文十九年(1550年)、住本寺の日辰が、両寺を合併し、要法寺とした。

 

日仙と日代
日興上人、日目上人が亡くなった翌年、建武元年(1334年)、大石寺の上蓮坊(百貫坊)で、日仙と日代の間で、方便品読不読問答があった。日代は日興上人の甥にあたり、重須談所で修学に励み、重須の住職となったが、日仙との問答で迹門の方便品にも得益があると主張したことが批判され、重須を退去し、西山に法華堂を開いた。(西山本門寺)その後、西山と重須(北山本門寺)の間で正統を争い対立が続いた。この対立で、西山が武田勝頼と結び、重須から、二箇相承、本尊、その他を奪った。その後、武田は織田、徳川に責められ、武田一族は滅亡し、二箇相承等は紛失してしまった。

 

時代

江戸時代

明治元年

(1868)

明治9年2月

(1876)

明治32年

(1899)

明治33年

(1900)

昭和

右:大石寺を中心に説明

幕府より不受派への弾圧があり、大石寺は弾圧を避ける為、八品派、真門流、陣門流と共に勝劣派を形成し幕府からの謗施を受ける。

明治政府より、日蓮教団は一致派と勝劣派に統合される。

勝劣派は、興門派、妙満寺派、本成寺派、八品派、本隆寺派の五派に分断。

大石寺は興門派に入り八山の1つとなる。管長を1年交代の八山持ちまわりとする。

改称

9月大石寺は本門宗から離脱、富士派を名乗る。
明治37年
日蓮宗富士派の実勢:87寺院
住職47人
檀徒5万8千人

明治45年(大正元年)6月日蓮正宗と改称

下:興門派系寺院名及び設立者名

石山
日蓮正宗大石寺
日興上人

日蓮宗勝劣派

 

日蓮宗勝劣派

日蓮宗興門派

 

日蓮本門宗

日蓮宗富士派

日蓮正宗

下条妙蓮寺
日華

日蓮宗勝劣派

日蓮宗勝劣派

日蓮宗興門派

日蓮本門宗

不明

日蓮正宗

北山本門寺
(重須談所)
日興上人・日代

日蓮宗勝劣派

日蓮宗勝劣派

日蓮宗興門派

日蓮本門宗

不明

日蓮宗

小泉久遠寺
日郷

日蓮宗勝劣派

日蓮宗勝劣派

日蓮宗興門派

日蓮本門宗

不明

日蓮宗

西山本門寺
日代

日蓮宗勝劣派

日蓮宗勝劣派

日蓮宗興門派

日蓮本門宗

不明

単立

保田妙本寺
日郷(千葉県)

日蓮宗勝劣派

日蓮宗勝劣派

日蓮宗興門派

日蓮本門宗

不明

単立

要山
京都要法寺
日尊・日辰

日蓮宗勝劣派

日蓮宗勝劣派

日蓮宗興門派

日蓮本門宗

不明

日蓮本宗

伊豆実成寺
日尊

日蓮宗勝劣派

日蓮宗勝劣派

日蓮宗興門派

日蓮本門宗

不明

日蓮宗

(大石寺、北山、西山、小泉、下条は富士五山と呼ばれる。)


参考文献
新編日蓮大聖人御書全集・創価学会版
新版仏教哲学大辞典・聖教新聞社
暗黒の富士宗門史(河合一著・第三文明社)
地涌選集